本屋大賞をメッタ斬り〜ノミネート作品の順位を予想(1)〜アップ

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大森望×豊崎由美のこの対談はやっぱいいですね。読んだときに感じるいろんなものはなかなか自分の言葉にできなくて歯がゆいけど、かゆいとこに手が届いたような気がして。勉強になります。


今回アップされたのは『東京タワー〜』『さくら』『ナラタージュ』についての部分。

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~
『東京タワー〜』は実はちょっと泣いちゃったんですよ。こういう「感動」を売りにしてる小説キライなくせに。まぁもともと親子モノに弱いうえ、著者と同じく九州出身であることも追い討ちをかけられた気がしますが。
でもこの小説のテーマである<母親>っていうのは、セカチューにおける<恋人の死>のように、小説の主軸にもってくるにはあまりにベタすぎてタブーなわけ。セカチューはあくびかみ殺して何とか読んだのに、これに感動できたのはなんか理由がある。<母親>という絶対性プラス、名コラムニストならではの細かいエピソードの上手さ。でもそれだけか?…というのはちょっと気になってて。
で、この対談の大森氏の意見によって、ちょっとわかった気がした。この作品においては自分と母親が主軸であるにも関わらず、その二人の関係性は巧妙に、もしくは無意識に避けられている。「その書きにくくてぎくしゃくする感じがリアルに見えるという、転倒した効果もあるわけ。小説としてうまく書いちゃうと、こんなに広い読者層にアピールしなかったんじゃないか。いわば、小説っぽくないところでウケてる小説」…そうかも。ていうか、そうだよ。もし自分と母親の関係を真正面から描ける作家だったらこんなベタベタなテーマ一本で長編は書かないだろうし。小説素人ながらも細かいエピソードを上手く書けるテクニックは持ってて、そしてどうしても書きたいことがあって…といういろんな条件が重なった上での、偶発的ないい小説かもしれない。ちょっとスッキリ。


さくら
『サクラ』も好きな作品だった。でも続けてデビュー作『あおい』を読んだら、両方の作品を通じてなんか人の死を「使っている」なぁと感じて、ちょっと距離を置いてしまった。
大森氏によれば、これはジョン・アーヴィングホテル・ニューハンプシャー』の日本版であると。わりと褒めてますね。わたしもこの作品は悪くないと思う。ただトヨサキ社長の「だって、泣かせだとか感動のための道具にしか使ってないんだもん」という意見はスルドイかと。



ナラタージュ
ナラタージュ』…これが注目。個人的には本屋大賞本命。
でもわたしはこの作品は何の思い入れもない。本の雑誌の2005年上半期ベスト1とか『この恋愛小説がすごい! 2006年版』の1位になってるけど、そんなにいいか? とりあえず最初に読んだときは、自分の弱さをさらけだしてつけ込む男と、わかってながら逃れられない女、という構図にうんざりして、たいした感想も書かなかったんだけど。
トヨサキ社長「すらすらーっと読んじゃって、どこにも引っかからない。『とても上手なんだけど、だからなに?』って言いたくなる小説なんですよ」&大森氏「ありえないような台詞が書かれている恋愛小説に抵抗がない人が多くて、それは不思議ですよね」という両者のコメントには深く賛同。
でも思うんだけど、この作品は女性だけではなく男性からも好かれてるのではないかしら。だとするとこの小説は強いだろう。本屋大賞的には。
でもガチンコ恋愛小説好きとしては、男にも女にも好かれる恋愛小説なんてウソだと思うぞ。