新年早々、罪と罰について考えてみる(2)

でっちあげ (新潮文庫)

でっちあげ (新潮文庫)

これはちょっと寄り道。今月の新潮文庫の新刊ですね。
保護者の訴えとマスコミの煽動により一人歩きした、福岡「殺人教師」事件の詳細と、その後の民事裁判の意外な行方を追ったルポタージュ。教師による苛めは本当にあったのか?
学校も広い意味で言えば密室なんで、やったやらないの事実判定を民事裁判に託すのは難しいですね。玉虫色の結果には双方納得がいかないことだろう。マイケル・ジャクソンの裁判と同じだ。本書は被告である教師側の証言が根底にあるので、事実については何ともいいがたいが、真相究明よりもとにかく問題を収束させたいと焦った学校側の対応もまた、問題の根源にあると思う。




「裁判官が見た」という部分に興味がわいて手にとった一冊。もちろんこの事件を担当した裁判官でなく、すでに退官されているもと裁判官によるものなのだけど、裁判所でのやり取りや判決文と一部の報道からのみ、この重大事件を読み解いていくという本書のスタンスは希有だ。
著者はこの一連の裁判の流れを、的確なポイントと解説を加えながらわかりやすく説明する。しかし何より興味深かったのは、裁判所が判断を下すに依存する「永山基準」「相場主義」「前例尊重」への解説と、その見えぬしがらみによって硬直してしまう司法の姿がリアルに描かれていることだろう。裁判官も一人の職業人であり、控訴されないためにもどうしても減刑に傾きがちだという現状は、たしかに裁判員制度が導入される意味があるのかなと思う。
翻って本書の核である事件について見れば、被害者家族である本村さんの懸命な行動が、世論、政治、司法を大きく変えたその影響力に改めて驚く。この事件に限ったことではなく、裁判は誰のためのものか、という根底が覆ったのだ。日本の司法の歴史において、この判決は実に大きなエポックだったことをひしひしと感じた。
日本の司法はいかなるものなのか、わかりやすく説明してくれる作品でした。オススメ。




死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの

死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの

そして次に手にとったのがこれだ。永山裁判にまでさかのぼるかと我ながら呆れるが、実はこの本、昨年の11月末に発行されたものである。著者も光市母子殺害事件の報道の過熱ぶりに改めて、「永山基準」のもととなった永山事件を調べようとしたらしい。
光市母子殺害事件と永山事件は、引き合いに出されるだけに大きな共通点がある。ひとつは、犯行時に被告が18歳以上20歳未満の年長少年であったこと、そして2審では無期懲役であったのが検察の上告により最高裁で差し戻しになり死刑が確定したこと、さらに死刑を求める世論の大きさ、である。
本書の核は、無期懲役と死刑の二択しかない状況に立たされた裁判所の苦悩である。そしてそれは、いずれやって来る死刑案件に携わる裁判員にもたらされる苦悩である。だからこそ、このタイミングだからこそ、当時の永山裁判に関わった人たちが著者のインタビューに答えてくれたんだろう。
永山基準を引き合いにしながらも実質は無視した光市母子殺害事件の判決が出た後に、あえて永山事件を調べ直そうとしたのは著者の慧眼かただの思いつきかはわからないが、結果として貴重な本書が生まれたのだ。
普通、裁判官が自分が関わった案件に、後に私見を述べることはあまりないだろう。上にあげた『裁判官が見た〜』の著者の井上氏もあとがきで「裁判官はこういう本を書いてはいけないという法律があるわけではありません。(中略)しかし、実際には、裁判官には、目に見えない縛りがあります。立場上、自主規制が極めて多いということです」と述べている。
本書の取材で、鬼籍に入っている関係者も多かったとはいえ、存命の関係者や遺族が口を開いてくれたのは、それなりに時が流れたこと、裁判員制度が始まるという特異な時節であったこと、そして光市母子殺害事件最高裁判決によって「永山基準」という重しが外れたこともあったのではないかと思う。そういう意味で、著者はまたとないタイミングで取材にあたったのではないかと思うのだ。
そして本書は永山の半生と裁判に関わった人間の苦悩に大半のページを割きつつ、ラストに短くも読者に深く考えさせる二つのエピソードを盛り込んでいる。ひとつは、同じく一審で死刑となったY氏が永山との文通により文字を覚え、投げやりだった態度を改めて弁護士を換えて無期懲役減刑してもらったこと。もうひとつは、著者が石鹸を許された少年F(光市母子殺害事件の犯人)と直接語ったくだりだ。
「事件の取材を続けてきたわけでもない私には語る資格もないだろう。しかし少なくとも、目の前で苦渋の表情を見せた元少年は、報道されたような“悪魔”ではなかった。大きな過ちを犯した、一人の人間であった。それは、かつて永山則夫が“連続射殺魔”と呼ばれてたのと重なる」
罪は罪である。その揺るがなさに比べて、罰はふらふらと揺らぐ。罰とは、応報なのか、更生のためのものか、それさえはっきりしないままだから。被害者家族の立場に立つのと、被告の情状に同情するのでは、180度立場も変わるかもしれない。その上で判断を下すことが出来るのか。
裁判員制度が始まった今、一読する価値のある一冊です。