新年早々、罪と罰について考えてみる(1)

死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人

死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人

我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人

我思うゆえに我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人

帰省先の書店でこの二冊が並べて売られているのを見かけ、どんな事件だったっけと手にとってみた。「死刑で〜」のほうの口絵にある写真を見てハッと思い出した。別に事件のことを思い出したわけじゃないが、パトカーの中でニヤリと笑う不気味な容疑者の映像は当時かなりテレビに流れていたから記憶に残っていたんだと思う。そして、異例の早さで去年、刑が執行されたことも記憶の片隅に残っていた。
「死刑で〜」のほうはノンフィクションとして非情にレベルが高く、いろいろ考えさせられ、わたしにしては時間をかけて読んだ。「我思う〜」のほうはノベル形式なので読みやすいのは読みやすいが、あくまで補足的に読むのがいいかもしれない(あとがきで触れられている通り著者の推論も交じっていることもあり)。
十六歳で母親を殺害し、少年院を出てから数年後に無関係の姉妹を殺害、二十五歳で死刑。壮絶な人生の闇はどこまでも深い。残虐な犯行に言い訳は許されるはずもないが、過酷な生育環境、発達障害、少年犯罪における更生など、彼の人生には現代社会の隠された問題点がいくつも潜んでいることを本書は気付かせてくれる。
読むべき一冊です。


心にナイフをしのばせて (文春文庫)

心にナイフをしのばせて (文春文庫)

「二十八年前の『酒鬼薔薇』」(第一章のタイトル)―――高校一年生の少年が同級生にナイフで殺害されさらにその頭部を切断されるという残虐な事件の、その被害者家族の40年に渡る苦しみを描いたルポタージュ。
今よりもずっと少年法の壁が高く、被害者家族への救済がまったくない時代。母親は二年近く寝込み発狂寸前、父親はただただ耐え、妹は反発しリストカットを繰り返した。残された家族は一切事件のことは口にせず、ただ生きるだけで、哀しみを見ない振りをすることしかできなかった。理不尽な暴力に泣き寝入りするしかなかった家族の苦しみがひしひしと伝わってくる。
が、この本がここまで注目を浴びたのは、加害者である少年Aが謝罪もないままのちに弁護士となったことを明かしたからだろう。被害者の家族は苦しみ続けているというのに、少年法で守られた加害者があろうことか弁護士。どの面下げて、とわたしでも思う。謝罪はおろか、少年Aの父親に課されたものではあるが賠償金も全額払ってないのに。
だけど、超えてはいけない一線だったのではないかと思わざるを得ない。この作品をきっかけに、少年法のもたらすあまりの理不尽がクローズアップされ世間を喚起させた功績はたしかに大きい。しかし義憤にかられた第三者によって犯人探しが始まり、結果として実名も出てしまった。弁護士という職業を明かさなければそんな騒ぎにはならなかったと思う。本書の最後で、少年Aが弁護士登録を抹消したと書かれている。たしかに、過去に犯した犯罪に比べればそのくらいどうだと思う。だけど、社会的制裁が許されるなら法律も裁判も刑務所もいらない。まっさらな視点に立てば、少年Aは裁判所の定めた通りに従って服役し、出所後に大学に入学し司法試験に受かって弁護士になったということは、法律上何の問題もないのだから。
更生とは何なのか、誰のためのものなのか。
加害者の更生や反省は、被害者家族を癒すのか否か。
うーん………と考えさせられる一冊でした。





あけましておめでとうございます。