新年早々、罪と罰について考えてみる(3)

私たちが死刑評決しました。

私たちが死刑評決しました。

多分、このシリーズはここで終わり。ただ今後も気になるテーマなのでジャンルは別に残しておこうかしら。
んで、本作。全米から注目が集まった裁判で陪審員に選ばれ、被告に死刑を与えた陪審員たちのリアルな感情が描かれたドキュメンタリー。
これはすごく興味深かった。日本で裁判員制度が始まるにあたって、何より個人的に不安になったのは、死刑か無期懲役かの判断を任されること。陪審員制度の善し悪しはさておき、量刑まで携わるそのプレッシャーはいかほどか。それに裁判員のプライバシーを守れるのかとか、その後のフォローは出来るのかとか。ていうか、絶対出来ないでしょう。
本書の事件の裁判員たちも、裁判中はもちろん、裁判が終わって今もまだ苦しんでいる。楽しいはずのクリスマスは被疑者が殺害された日でもあって、心が沈む。美しいサンフランシスコの湾景は、魚に食い荒らされてぼろぼろになって発見された被害者の最後を思い出す。
しかもこの事件は難しかった。よく起訴にまで持ち込めたと思うほどに、状況証拠しかない。でもそれでも何とか有罪にまで持ち込めても、また刑の確定は別なのだ。
ちなみに本書に関わった陪審員の幾人かはPTSDに苦しんでいる。
うーん………。やっぱり死刑案件に裁判員制度を用いるのはちょっと辛いと思う。赤の他人を死刑にするか否かを任されるなんて想像するにゾッとする。
わたしはもし死刑案件の裁判員に選ばれたら、被告がどんなヒドい人でも死刑は回避する回答を出すと思う。だって赤の他人の生死まで責任負いたくないし。その理屈で言えば死刑も減る? まぁそれはどっちでもいいが、赤の他人が起こした事件に、義務として深く関わらざるを得ない心理的圧迫を、もう少しきちんと考えてほしいと改めて思った。