マークスの山(高村薫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(下) (講談社文庫)

マークスの山(下) (講談社文庫)

乃南アサの音道シリーズ読んで以降、警察小説への渇望が無性に高まった。思えばアメリカの作家の作品ならボッシュとかライムとの警察小説を飛びつかんばかりに読んでいるのに、そういえば国内の警察小説は読んでない。
とんだ手薄だと反省しきりにさて面白い警察小説とはと探そうにも、もともと良く知らないジャンルだけにどれを読めばいいのかよくわからない。

あてもなく書店で彷徨い、平台の目立つ位置に置かれた―この警察小説に酔え!―という帯の文句に縋るように購入して早速読みはじめるも途中で飽きて止めた。

違う。テンポの良さは認めるけど、まるで型にはめたようなキャラクターは頂けない。これ本当に売れてるんですかと誰かに問いつめたい気持ちで、警察小説なら何だっていいわけじゃないんだよねと逆ギレ気味に思う。

そこで昨日ふたたび書店彷徨ってる時に唐突に頭に浮かんだのが「高村薫」。読んだら右から左に抜けてしまう、とりあえず社会生活には支障きたさない健忘症のせいで、ある程度有名な作品は読んだはずだと脳が勝手に認識している。だから高村薫といえばの『マークスの山』は読んだしそれ以外は読んでないと思っていた。『マークスの山』はかろうじて覚えている限りでも一世を風靡したはずだ。ケータイ云々でなくメディアミックスでなくただプロの作家の小説があれほどフューチャーされたのは、それ以降を思えばかなりめずらしいことだったような。だからこそ読んだはずだと思い込んでた。背のあらすじ読んだ時も中身読み出した時も結局は既視感覚えなかったのだから読んでなかったと判断するが妥当だけど、もし読んでたとしたら病院に行ったほうがいいのかもと思わないでもない。

前置き長過ぎました。で、この作品読みました。面白かったです。この高揚を下手な言葉で褒めるのは謹んで、なぜか文庫本の解説に突っ込みたいと思います。

解説者は秋山駿氏。知らない名前だったのでWikiってみると、小説も出してるけど本職は大学教授と評論家? 『瀬戸内寂聴渡辺淳一など、通俗作家としてあまり文芸評論家が論じない作家を積極的に評価してきた。時流から超然とし、自分自身の感覚を信じるところに、秋山の真骨頂があるといえよう。』(by Wikipedia)とのことですが、なんか、わかる。だって解説の一文目がこれだもの。
高村薫氏の「マークスの山」を、私は三日がかりで読んだが、ちっとも退屈しなかった。充実した楽しい読書の時間を持つことができた。』
褒めてんだか褒めてないんだか、いや褒めてるつもりだろうけど。
『作家が懸命に、力を尽くして書いている。全力を投入して書いている、という感触が、われわれの眼を心地よく打ってくる』
うん。それはそうなんだけど。なんだろうこの「上から見る」かんじ。いやもちろん秋山氏は1930年生まれということでほとんどの現役作家がヒヨッコに見えるのは当然だとしても、解説でこういうスタンスなのは最近ではめずらしいのではなんてちょっと思う。
その後、最初に一読してこれはミステリー小説ではないと読んだ自画自賛の下りが多少長いが、その読みは正しく、ついで今よりずっとジャンルという壁が厚かった時代を長く生きた人と思えば聞き流せる。

しかし解説終盤、この小説に登場するキャラクターに言及するくだりの最後あたりで首をひねった。マークスと短期間であるが同棲した看護婦・真知子に関するくだり。

『この女性をよく描いたのが、作家の手柄であった。この女性を描くところに、人間性の深さが顕われる。彼女の「愛」が、殺人事件を主題にしたこの作品に、救いをもたらす。いかなる留保もなく、「女はありがたいものだ」と感ずる。』
素直に首ひねるしかない。真知子の「愛」は、都合の悪いことはただ無視し庇護欲性欲満足させながらも一日五百円与えて良しとする、ひどく歪んだものではないか。真知子の「愛」はひどく自分勝手にしか思えない。悲劇のヒロインに酔っても現実に自分に不利益あると判断すれば冷たく突き放すだろうそれは単なる想像でなく、服役中のマーカスには一度も会いに行かなかったというエピソードが裏付ける。そんなものに誰が救われるのか。

この作品の中で「愛」を探すなら、皮肉にもマーカスから真知子への「愛」ではないだろうか。分離高揚忘却を繰り返す脳を抱えながら、真知子の好きなマスクメロンを買った、金が入ったら真知子が何をしたいのかそれを聞くのを忘れないようにメモした、赤いものに執着するのに最後に持っていたのは真知子の白い靴。

それぞれに思う気持ちがあっても、二人の間には「愛」は成立していない。

だからこの物語に救いをもたらすとしたら、それはただ自分以外の他者を求めるという人間らしい本能、そのもののような気がする。マーカスがもし真知子に何の感情も抱いてないとすれば、「わからない」と線引いて途方に暮れるしかないのだから。
『彼女の「愛」が、殺人事件を主題にしたこの作品に、救いをもたらす。』

うーん。マーカスへの作用としてってこと、なら。でも物語に救いもたらしたのは彼女の愛じゃなく、どんだけ狂っていても愛を求める人間の本能、そういうものでは。

『いかなる留保もなく、「女はありがたいものだ」と感ずる。』
いいですね、反論は許さない風の『いかなる留保もなく』、で、『女はありがたいものだ』? はーいどんどんありがたがってくださいな。一方的な愛をそう受け止めてくれるなら良いですよねホントに。


ま、そういうわけで、すっごく面白い小説にも関わらず、それに負けないパンチのある解説で目が覚めました。