名前探しの放課後(上) 名前探しの放課後(下)(辻村深月)

名前探しの放課後(上)

名前探しの放課後(上)

名前探しの放課後(下)

名前探しの放課後(下)

思い出せる分だけでも更新が滞っていた間に読んだ本のことも少し記しておこうかと。問題は右から左のざる頭が内容どころか何を読んだかすら覚えてないことなんですけどね。思い出せるところから。つまりはざる頭にも残る面白い作品から。
いやだって辻村さんの新刊ですからね。飛びついちゃいますよ。たしかクリスマス前後。

「今から、俺たちの学年の生徒が一人、死ぬ。――自殺、するんだ」
「誰が、自殺なんて」
「それが――きちんと覚えてないんだ。自殺の詳細」
不可思議なタイムスリップで3ヵ月先から戻された依田いつかは、これから起こる"誰か"の自殺を止めるため、同級生の坂崎あすならと"放課後の名前探し"をはじめる――
――青春ミステリの金字塔。

正直、プロットだけを思い返せば十分に一冊で収まる内容だったと思う。だけどそれを二冊にわけるほどの分量にしてそれでいて読者を楽しませるその部分こそが、この人の魅力。決して冗長ではない。徐々に明かされる過去と未来に緊張も絶えることなく、それでいて奇妙な縁で仲間となった主人公たちの過ごす時間が心地よくて。
SFでミステリで青春モノといえば印象深い米澤穂信の『ボトルネック』を思い出す。読後感は真逆でもどちらも好きだと思うのは、その時代特有の繊細さがどちらの作品もきっちり描かれているからだろう。『ボトルネック』は他者をも巻き込む痛々しさを、『名前探しの放課後』は妙な自己満足と怯えを。
こういう作品を読むと、SFだミステリだと分類するジャンル分けに名指しされるものが、ただのテクニックのひとつだと改めて思う。設定ありきの物語はすべてに共通するし、だとしたらここまで際立つ切なさや懐かしさは何なのかと。
期待してただけのものは得られた辻村さんの新作でした。



んー今飛びついちゃうようなミステリ作家は、道尾秀介米澤穂信、そしてこの辻村深月、この三人だけは絶対に押さえておきたい。そう思えるミステリ作家がもっと増えるといいなぁ。