アメリカにいる、きみ (Modern&Classic)(C・N・アディーチェ)

アメリカにいる、きみ (Modern&Classic)

アメリカにいる、きみ (Modern&Classic)

ミステリ以外の翻訳モノを読みのは久しぶり。しかもナイジェリア出身の作家の作品を読むのは、初めてじゃないかな。予備知識もなく何となく手に取った本書だが、これが素晴らしかった。

アフリカの若き俊才
最年少オレンジ賞受賞作家のO・ヘンリー賞受賞作を含む初の短編集。
アメリカにわたったナイジェリアの少女のふかい悲しみをみずみずしく綴った表題作ほか、いずれも繊細で心にしみる珠玉の短編全10編。

もし興味のある人がいたら、表題作でもありこの短編集の一番はじめに収録されている「アメリカにいる、きみ」だけでも立ち読みしてほしい(かなり短い短編だし)。叔父を頼ってナイジェリアからアメリカにわたった少女の数ヶ月が濃密に描かれた一作。自分は人種差別などしないと思い込んでいるアメリカ人の言動をシニカルな視点で眺めながらも、ときに不安げでときに残酷な少女の心情が繊細に描かれる。
続く「アメリカ大使館」にも胸を掴まれる。主人公の女性は亡命のために大使館のまえに並ぶ。彼女の夫は反政府派のジャーナリストですでに国外に逃亡している。しかし彼女の心に沈んでいるのは……。これは上手い、と思った。もう二度と得ることはできない子供を失った苦しみを、新天地へのパスポートを求める場所を舞台に鮮やかに描く。激しいコントラストに目眩を覚えるような、だけどその目眩こそ一人の母親の混乱した心情そのもののような気がして。


この短編集をおおまかに分ければこの二編のように、アメリカに渡ったイボ人、もしくはナイジェリア国内で戦渦に巻き込まれるイボ人、を主人公とした物語、ということになる。イボ人が背負っている過去、現実に受けた傷を想像することさえできない自分にとっては、ここで描かれる「現実」はそれだけでインパクトがある。だからそちらに目がいきがちだけど、だけどこの作品が素晴らしいのは、ただこの作家が作家として優れているからだと思う。イボ人であるということ、それによる波乱と屈辱に満ちた生活を、強調することもぼかすこともなく、ただそこに「生きる」人間の心情を、繊細に効果的に描いている。


以下は訳者あとがきに引用されていた著者インタビュー(「新進作家フォーラム」)から。

アフリカについて書かれた本(たいていアフリカ黒人がブラックアフリカについて書いた本)の書評者やその本に推薦文をよせる作家が「これはたんなるアフリカの本ではなく普遍性をもつ」といって読者を安心させるのはなぜか、不思議に思ったことはありませんか? まるで「アフリカの」と「普遍性をもつ」が相容れないみたいですね。英国や米国の小説が普遍性をもつ、なんて誰もわざわざいったりしません。もちろん、それは当然のこと、という仮定があるからです。(中略)
西洋諸国の人びとは、西洋文化の色眼鏡でアフリカを見たがるのをやめて、複雑に入り組んだあらゆることを含めて、アフリカ人の目線を通して等身大のアフリカと向き合ってほしいと思います。

んーまぁ単に読者を安心させる言葉ですよね、「普遍性」。普遍性があったからといっていい小説とも言えないわけだし。独自の文化圏の中でしか理解されない小説もある。だけどそれを越えて世界的に評価を得る小説もあって、それを紹介する際にお客さんのために「普遍性」という言葉を使うのは別にいいんじゃないか、と思うわけです。この著者にとってはアフリカと西洋という歴史的に因縁のある間柄だからこその発言なんだろうけど、アフリカでアジアの小説を売るとしたらやっぱ「普遍的ですよ」的なポップでも立ててほしい気がする。だから何が言いたいかというと、海外小説にとって「普遍性」って当たり前の売り文句じゃないかってことです。違う文化に対しての偏見なんてあって当たり前だから、一人でも多くの読者に読んでもらうための常套句なんじゃないかしら?


あれ、だいぶん話がそれました。そんなところに食い付く気は全然なくて、ただこの作品をオススメしたかっただけなんですけど。でも小説は本当に良かったです。絶対に読んで損なしな一冊です。クレストブックスとか、ハヤカワのepiシリーズ読まれるかたにはとくにオススメ!