小鳥たちが見たもの(ソーニャ・ハートネット)

小鳥たちが見たもの

小鳥たちが見たもの

知らない作家の棚差しのこの本を、なぜわざわざ抜き出して手に取ったのかよく覚えていない。訳者が金原瑞人氏だったから目に止まったのかも。そして、

もう金曜日の放課後だ。
月曜日まで学校に行かずにすむーー

この帯に引き寄せられるものがあった。面白そうだという予感。それが見事的中。たまーにあるんですよね。とくに翻訳小説で、前評判どころか作者名さえ知らない作品で、帯に抜き出された文章にピンとくること。鼻が利いてる気がしてちょっと嬉しくなる。


ただこの著者、ソーニャ・ハートネットの作品は日本ではまだ三作しか訳出されていないが、「15歳でデビュー、オーストラリア文学界でもっとも輝きを放つ作家」とのことで、前作の『木曜日に生まれた子ども』はイギリスの児童文学賞であるガーディアン賞を受賞し、世界的に注目されているらしい。


で、本作だが……、
舞台となる小さな町で、三人兄弟が行方不明となる。ざわめく町のなかで、誰より心揺すぶられていたのは、9歳のエイドリアンだった。情緒不安定な母親から引き離され、祖母のもとで育てられていたエイドリアンは、人並みはずれて恐怖心の強い子どもだった。年老いての育児に疲れた祖母の苛立ち、たった一人しかいない友人を失うかもしれない不安、両親に育てられていないという根本的な恐怖……たたみかけるような不安材料の波に、小さなエイドリアンの心は押しつぶされそうになる。エイドリアンが求めた奇跡とは何だったのか。鮮烈なラストシーンを読み終えたあと、それだけを思って胸が痛くなった。


訳者あとがきでも少し触れてあったけど、この作品の根底には作者の怒りがあるように思う。じゃないと、あんなラストにはしないだろう。子どもに無関心な親と社会への怒り。エイドリアンに比べれば、というか比べるのもおこがましいほど幸せな環境にあったわたしでさえ、月曜日がくることが恐ろしいときがあった。そのくらい、学校生活はサバイバルの場所だ。さらにエイドリアンは家庭にさえ、居場所がなかったのだ。エイドリアンにはこれ以上どうしようもなかった。彼はただ「普通の子ども」になりたかっただけの、静かで優しい子どもだった。そんなエイドリアンにこれほどの絶望を与えたのは誰だと、この作品は問うている。


どんな世代の人が読んでも何かを深く感じ入れると思う。でも何より子をもつ親に、そして全ての大人に読んでほしい作品だと思った。日本で出版されている他二作も近いうちに探して読んでみたい。