群像 2007年 04月号 [雑誌]

群像 2007年 04月号 [雑誌]

群像 2007年 04月号 [雑誌]

山田詠美川上弘美、小説のつくり手目線の対談が興味深い。

川上 山田さんは手書きだから、たぶんそういうことは関係ないと思うんだけど、私はワープロで書いていて、パソコンも同じだと思うんですけど、変換ということをするんです。そのときに平仮名を選ぶか漢字を選ぶかということを、パソコンで書いている人は常に選択させられているんです。
山田 あ、本当? 私は手書きだから、そういうのってちょっとわからないのね。
川上 ないでしょう。例えば、「ない」とか「ある」とかでも、普通ならば平仮名で「ない」「ある」って書くでしょう。それが漢字で「無い」「有る」。気をつけないと無頓着に変換してしまう。
山田 無頓着に使ってる漢字って多いよね。
川上 多いと思う。だから、綿谷りささんが、「たばこを吸う」の「す」を平仮名で書いているのを読んだときには、この人はそういうことに無頓着じゃないんだって思ったりしました。パソコンがよくない、ということは言われるけど、手書きか機械かは、関係なく……。
山田 関係ないよね。小説家の資質の問題だと思う。
川上 どこまで意識するかということだと思うんです。

漢字か平仮名かって基本的な問題であるとは思うけど、読み手側からすればよっぽど不自然でない限りあまり引っかからないもの。小説家はやっぱどうしても「つくり手」の目線がどうしても入ってくるのだなぁ。

川上 それで、またこれがおもしろかったのが、三月号の「群像」かな、絲山秋子さんと川村次郎さんと豊崎由美さんの創作合評で、絲山さんが「これはだめだ」、あとの二人は「これはいい」という小説があったんですけど、絲山さんが中のセックスの場面について「頭から足が生えているとちょうどいいぐらいのへんてこな体位です」って批判していて(笑)、実作者の言葉だなと思いました。
山田 わかる。そうだよね、小説を書いている人って、そこ重要視する。
川上 そう。だから、読んでいるときも、これは実際に自分がこの場面にいたらこう見えていてって、どうしても考えてしまう。
(中略)
山田 そうだね。実作者だったら、こんなのあり得ないって思うけれども、わりと簡単に騙されてくれちゃったりとかもするじゃない? だけど、書いている方としては、ここ重要、みたいなところがある。
川上 小説って職人仕事みたいなところがあるから、この椅子の角度が……という感じですよね。
(中略)
川上 そこでずるして近道しちゃえと思うこともあるけど、それをやると何か後ですごく嫌な気持ちになって。
山田 そうなの。何かね、お天道様が見ているっていう気持ちになるのよね。
川上 うん。わたしは「今日様」(笑)。

お天道様より今日様より怖いのは同業者だったりして。いやでもこの二人の姿勢は好感度高いです。そういう小説家が少ないように思えるから、よけいにそう思うのかな?

山田 だから、この中に「大人」という言葉が何度も出てきますけど、じゃ年をとったら大人なのかっていうとそうじゃなくて、人の死に目に会う回数とその出会い方によって大人かどうかっていうのが決まってくると思うの。
川上 ええ。
山田 小説家って、誰も死ぬんだと思うことを意識したときに、書いてくるものって変わってくるんじゃないかなって私は思う。
川上 苦しみがまじってくる、かな。
山田 でも、ほら、苦いって隠し味だからね。その調合によって、それがいい方向に行く人と、自分のあやし方をわからなくてだめな方向に行く人もいると思うんです。

たとえば山田詠美の作品でいえば『PAY DAY!!!』では強く存在を放っていた「死」が、最新作の『無銭優雅』ではオブラートに包んで隅っこにおいてある、そんな印象を受けた。どちらもとても好きな作品だけど、やはり洗練されているといえば『無銭優雅』かな、やっぱ。
そんなこんなでもっといろいろ抜き出したいような箇所がたくさんある、楽しい対談でした。


で、二人の対談を読んでから創作合評を読むとまた面白いかも。評者は川村次郎、豊崎由美絲山秋子。取り上げられた作品は鹿島田真希「ピカルディーの光」(「群像」三月号)と、島本理生「あなたの呼吸が止まるまで」(「新潮」三月号)。どちらの作品も読んでないのだけど、意外に楽しめる。ちなみに二作ともこの三人の評者にはやや(いや、かなり?)不評のようで、その辛口ぶりがいいのかも。
山田×川上対談を読んだ後だと、実作者である絲山氏と、そうでない川村氏と豊崎氏の意見が対立するあたりに注目してしまう。

川村 大人と子供がまじっているというようなことを感じたのは、四六ページで、父親が出前の寿司を食べないかというんだけれども、その出前の寿司を「せっかくワサビ抜きにしてもらったのに」というんですね。小学六年というのは、僕は、味覚に関してはもう大人じゃないかと思うんだけど。
豊崎 そうそう。この子って、カレーを自分でつくるときは辛口みたいなんですよ。カレーの辛さはよくても、ワサビはだめなのかと。そういう小さなことばかりに気が取られてしまって。いい読者とはとてもいえませんね。
絲山 でも、回転寿司なんかに行くと、二十歳くらいのカップルで、二人ともサビ抜きなんて幾らでもいますよ。だから、ここはいいと思います。

ここ面白いなと思って。「カレーは辛口なのに寿司はサビ抜きという小学六年生」に対して川上、豊崎両氏は違和感を覚えて、一方絲山氏は「アリ」だという。でもわたしは、カレーが辛口なら、小学六年生なら、イコール「サビ抜き」はありえないという、そういう解釈の方が一般的なイメージにとらわれすぎてるように思う。だって実際にわたしはカレーは辛口だけど、寿司屋でワサビは少なめにしてもらうように頼む。ついでに小学生のときは間違いなくサビ抜きだったし。調べたわけではないのでわからないけど、たぶんワサビとカレーでは舌の刺激担当が違うのではないかと思う。だからここはやっぱ絲山氏に一票、なのだ。
そういう視点の違いは面白い。ワサビの件については絲山氏に同調できたけど、自分に関わりのない部分についてはたぶん、イメージ先行で「違和感」を感じてしまうと思うから。そういう細かなエピソードに注目して読むのも面白そうだと思う。実作者たちほどに繊細なアンテナはいらないけどね。とゆーかそんなアンテナ持ってたら読める作品が少なくなりそうだ……。