文盲 アゴタ・クリストフ自伝(アゴタ・クリストフ)★★★★★

文盲 アゴタ・クリストフ自伝

文盲 アゴタ・クリストフ自伝

ずっと読みたいと思ってたものの、行きつけの書店では見つけられず、やっと銀座の教文館で平積みにされてるのを発見。しかし銀座の教文館はいいよね。二種類あるカバーから選ばせてくれて、さらに取れにくいカバーの付け方で、わざわざオリジナルの栞も挟んでくれるという親切さ。まぁ余力あってのサービスかもしれないけど、実際に品揃えはいいし、近くに寄れば必ず行ってしまうだけの魅力のある本屋さんだと思う。何よりこの本を平積みしてる本屋はそうないと思うのだ。
さておき、本書は『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』三部作で有名なアゴタ・クリストフの自伝である。自伝と聞けば腰の引ける人も多かろうが、この作品は驚く事なかれ、たった91ページ。しかも級数大きめ&行間たっぷり、でだ。さらに彼女の人生を知ればさらに意外に思うだろう。貧しくも幸福な子供時代、寄宿学校とは名ばかりの監獄時代、法を犯しても挑む越境、難民となって安定はしても無為な日々。激変する東欧政局を背景に、彼女とその家族を苦しめた国をあとにした、アゴタ・クリストフの激動の半生が厳選された静かなエピソードのみで綴られる。
国に失望するこころ、それでも一生忘れられない国への思い。自分の意志とは別に、母国語ではない他の言語に慣れて生きていくしかない、やりきれなさ。小説も同じだけど、この著者は限界まで削る作家だ。削っても濃度を上げることが出来る、むしろ濃度を上げるために削ることができる、
う〜ん、これほどまでの思いをあの『悪童日記』に昇華させていたのかと思うと、言葉も出ない。だって最初に『悪童日記』を読んだ時は、これは完全にエンタメ方向な物語だろうと思ってしまったのよ。そのくらい、作者の私情が一切感じられないドライさがあったのだ。続く二作を読んでやっと、この一作目にこそすべてが詰まっていたのだな、と理解出来たのだけど。
しかもこの自伝においても、「生々しさ」は一切ないのだ。驚くべき経歴であるのに、決してくどくどと書き込まない。だから、この自伝は唯一希有な作家ではないかと思う。
いや、良かったですよ。一気読みでした。でもときにページをめくる手を止めて、もしこの立場に自分が立ったらどうだろうかと考えて背筋が寒くなった。ちなみにタイトルは、子供の頃から読んだり書いたりすることが大好きな著者が、いきなり言葉のわからない国でリスタートすることになった、その時代を含めて考えられたものらしい。

 わたしはフランス語を三十年以上前から話している。二十年前から書いている。けれども、未だにこの言語に習熟してはいない。話せば語法を間違えるし、書くためにはどうしても辞書をたびたび参照しなければならない。
 そんな理由から、わたしはフランス語もまた、敵語と呼ぶ。別の理由もある。こちらの理由のほうが深刻だ。すなわち、この言語が、わたしのなかの母語をじわじわと殺しつつあるという事実である。

共感出来るとは言いがたいし、著者にしても簡単に共感出来るとは言われたくないだろうが、あの三部作はどこまでも感情をそぎ落とすことによって、その痛みを読者にストレートに伝えることが出来た、素晴らしい作品だったと今さらながら思うのだ。あの三部作を改めて読み返したいなと思った。