徹底抗戦!文士の森(笙野頼子)★★★★

徹底抗戦!文士の森

徹底抗戦!文士の森

実は何年前にこの人の小説『金比羅』に挑戦して、あっさり挫折してます。だって難解だったんだもの。もうちょっと純文学を楽しめるようになってからまた挑戦しようと、今も本棚に眠ってますが。そこでなぜか小説ではない本書が初めての笙野作品となってしまいました。
本書はサブタイトルどおり「実録純文学闘争十四年史」である。この純文学論争についてはコチラが詳しい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%AB%96%E4%BA%89
Wikipediaにはお世話になりっぱなしです。そこからちょっとだけ、ことの始まりを引用させていただくと、

1998年頃、大塚英志が主張した「売れない純文学は商品として劣る」との主張に対して笙野頼子は抗議した。福田和也はこの笙野の抗議について「ヒステリック」と批判した。その過程は笙野のエッセイ集『ドン・キホーテの「論争」』に詳しい。また、それを創作と言う形で表現したのが『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』であり、笙野の純文学に対する並々ならぬ熱意がうかがえる。

当時こんな論争が起こってたのも知らなかったし、今日まで大塚英志は漫画『サイコ』の原作者としてしか認識してなかったので、Wikipediaに載ってるこの論争の顛末はなかなか興味深く読ませていただいた。
ただ本書だけではわかりにくかったな。反論する相手の文章があまり引用されてないので、闘いの半分しか観れなかったかんじだ。皮肉たっぷりな毒舌満載で面白くはあるのだけど、その矛先である向こうの主張が向こうの言葉で書かれていない以上、ちょっと複雑な印象も残る。


ただWikipediaの外部リンクで、大塚英志氏が「群像」に掲載した「不良債権としての『文学』」という文章がWEBにあったので、それは読んでみた。
http://www.bungaku.net/furima/fremafryou.htm
で、ちょっと不思議な気がした。だってなんかまともに反論するのがバカバカしい内容なんだもの。
「群像」はじめ文芸誌は出版社にとって不採算な存在である→他の部門(たとえばコミックなど)がその赤字を補填している→出版社はコストダウンをはかり、文学を新たな流通経路に解放すべき→コミックにはコミケのような「素人の創作物」を売るイベントが大成功してるんだから、文学もそういう場(文学フリマ)をつくるべきだ→<繰り返しますが、ぼくは「経済的自立」に「文学」の全ての価値があると言っているのではありません。しかし大西巨人氏のように黙々とHPに「文学」を無償で発信していく覚悟がないなら、現実的に「文学」や「文学者」を存続せしめる具体的な悪あがき一つせずに「文壇」で「文学」を秘儀のまま存続させるのは不可能だと言っているだけです。>
う〜ん、どこから突っ込んでいいかわからないです。時間がもったいないのでスルーするのが一番だけど、他ならぬ「群像」(掲載は2002年6月)に載ったんだもの。純文学作家である著者が噛み付きたくなるのも無理はない。ただ相手に不足ありだよなぁ。だって素人のわたしから読んでもちょっとこれは……。しかもその論理の先に提案したのが文学フリマかよ。ガクっとくるなぁ。いや、文学フリマはいいですよ。小説の未来のためにもたくさんあってくれて。ただ文学の「経済的自立」のための新たなツールとして文学フリマを提案してくるっていうのは、あまりにアホらしくて何とも言えん。それにしてもこの人は一体何のオーソリティーとしてこんな文章を発表してるんだろう。もと編集者として? それともサブカル系評論家として? 一体何について専門的な知識を持ってて、出版界の将来を語ってるのかしら? そこは読んでもわかんなかったなぁ。


ことの経緯を知らずに本書を読めばワンサイドの視点が気になるんだけど、本書をきっかけにその論争に興味が出て調べてみれば、ページから飛び出るような著者の怒りのパフォーマンスが理解できて、なんか結果的にとても楽しかったです。