沖で待つ(絲山秋子/文芸春秋)★★★★★

沖で待つ
待ちくたびれましたよ…芥川受賞作のこの単行本化! 受賞作で表題作でもある「沖で待つ」が一挙掲載された今月の文芸春秋を買おうか買うまいかじりじりしながら、なんとか持ちこたえました。
ちなみに選評は立ち読みしたんだけど、石原慎太郎のアレは一体なんなの? 選評委員として金もらってるんでしょ? 選評しようよ。できないなら辞めようよ。あと山田詠美が「どうで死ぬ身の一踊り」を褒めてて嬉しかったな。やっぱあの作品いいよね。


で、この作品ですが。
表題作はとてもシンプル。事故で死んだ同期入社の「太っちゃん」とのある約束を果たすため、荷物を運び出す前に彼の部屋へ侵入した「私」。同期としての「太っちゃん」と「私」のたくさんのささいなエピソードが積み重なって、唯一無二な信頼関係を浮かび上がらせる。
小説において、家族や友人、恋人との関係性を描くことは、揺るぎなくて、わかりやすい。いくらでも波乱は起こるし、とても身近な問題だからだ。
一方で、この小説で描かれる<仕事によって培われた関係>については、あまり語り尽くされてない気がする。「お仕事小説」はいくらでもあるけど、あくまで主軸は主人公の成長の物語であることが多い。
仕事仲間って文字通り「仕事上の付き合い」だから、家族でも友人でも恋人でもないから、簡単にその関係を上手く言葉にはできない。でも働いてる人の多くは、寝る時間を除いた一日の半分以上をその仕事仲間と過ごしてるんじゃないだろうか。だったら、家族でも友人でも恋人でもないけど、自分の人生において重要な人間関係に他ならないはずだ。でも仕事上の関係は、その他の人間関係より淡白なものとして認識されてる。実際に個人そのものへの関わりは少ないわけだし。
でもね、仕事上でしか味わうことのないことはある。必死になったり、得意になったり、ともに達成感を味わったり、一緒に酒飲みながらグチを言って憂さ晴らししたり。家族にも友達にも恋人にも見せない一面を見せる。そこから生まれる信頼関係は、「仕事上の付き合い」なんて簡単な言葉で済まされるもんではない。
…というようなことを、この小説を読んで改めて思った。「戦友」に近いような、名付けることの出来ないこの関係を、絲山秋子は丁寧に抽出してひとつの小説に昇華させている。シンプルながら、あたらしい小説がここにある。


もうひとつの短編『勤労感謝の日』も、スコーンと突き抜けた感じが気持ちいい。「母は強し」ならぬ「いっぺん必死に働いた女は強い」ってかんじでしょうか。心強いっす。