ヒューマン -人類- (ハヤカワ文庫 SF (1520))(ロバート・J・ソウヤー/ハヤカワ文庫)

ヒューマン -人類- (ハヤカワ文庫 SF (1520))
ふ〜連続して読んでしまった。3冊目がすでに刊行されていたならば明日にはきっと読んでるね。止まりません。
前作では事故によっていきなりクロマニヨンが進化した<並行宇宙>に投げ出されたネアンデルタール・ポンターが、今作では自分の強い意志によって同胞を連れて再びクロマニヨンの世界を訪れる。双方の世界の交流を目的に、でも内心ではメアリと再び会いたい気持ちが抑えられなかったのだ。そしてまた、メアリもポンターを思い続けていた。再会した二人は念願晴れて愛し合うことになるのだが、思ってもない事態が二人に襲いかかる。危険をはらんだ二つの世界の交流がはじまったー。
交流することを念頭に置いた人たちはやはりお互い距離を持って、言い換えれば表面的に付き合おうとする。だけどポンターとメアリは愛し合ってしまった。だからこそお互いの世界の差異をだれよりも身をもって知ってしまうのだ。宗教の違いや人種の違いどころではない。考え方が根底から違う、ということが二人を残酷なまでに傷つける。ベトナム戦没者慰霊碑の前で二人が口論するシーンは何度読んでも胸が痛くなる。もしも記念碑に意味があるのなら、大統領はこの記念碑の前で開戦を宣言するべきだ、というポンターの主張にわたしも同意する。そしてたぶんこれは作者なりの現代社会への、とくにアメリカへの皮肉だ。
ネアンデルタールのポンターの気持ちに沿ってしまうのは、わたしが無神論者だからだろうか。無神論者っていうと大げさだけど、今の日本人の典型ってことですが。キリスト教の人が読んだらもっとそのギャップに衝撃を受けるのかな。よくわからないけど。でもこの現代においても「神が世界を創造した」とか「死後の世界がある」とか本当に信じてる人がいるのかな。宗教の存在についてはわたしは完全にネアンデルタール人寄りだけど、でも死者を偲んだりすることを不思議に思わない。死んだら終わり、それはわかってるけど死者を偲ぶことで自分が慰められることを知ってるからやってることだもの。なんの矛盾もない気がする。
前作でも「人類の罪」についてはいろいろ考えさせられたが、今作はそれ以上。ポンターがこの世界にとどまればとどまるほど、クロマニヨンの世界の矛盾とむなしさがあらわにされてしまう。でもだからといってネアンデルタールの世界が理想郷かというとそれも微妙だ。合理性を追求した凝り固まった世界。そういうふうにも見える。ま、クロマニヨンの世界よりずっと地球に優しいことは確実だけど。
今作でもかなりいろいろ動きがあるのだが、やはり完結編に向けての助走、というった雰囲気が強い。たぶんどちらの世界にとっても衝撃的なことが起こるんだろう。あー早く読みたい。10月まで待てないよ。なんとか前倒しで出版してくれないものか。がんばれ翻訳者の内田昌之さん!そしていつも読みやすい翻訳でありがとう!