ソーラー (新潮クレスト・ブックス)(イアン・マキューアン)

ソーラー (新潮クレスト・ブックス)

ソーラー (新潮クレスト・ブックス)

思わずページをめくってしまうエンタメ性と、小説としての奥行きって、あまり両立しないというかそういう作品は少ないと思うのだけど、マキューアンは軽々とやってのけるよね。
主人公のビアードは過去にノーベル化学賞を獲得したことのある有名人だけど、金にも女にも生活にもだらしないダメ中年。プライドは高く享楽的で欲深く、そして面倒なことは考えない。一体どんな魅力があって彼のまわりに常に女性がいるのか不思議なくらいである。
だけどなぜか嫌いになれないのは、わたしが一読者で彼の滑稽な一面を知っているからだろう。自分の寝室にこもっている妻に聞かせるためにラジオを使って自分と愛人の一人二役を演じていたあたりなんて、何度読んでも笑ってしまう。「頭がどうにかしていなければ、こんなことをしようとは思わないだろう。」まさに!!
しかしそんなベアードの人生に笑ったり呆れたりしながら、ラストに近づくにつれ、読んでいるわたしの心は、いつの間にか発生してた「気持ち悪さ」に徐々に圧迫されていくのである。
ベアードは、自分にとって都合の悪いものは見ない、なかったことにする。でも本当にそれがなくなったわけではないから、ベアードの人生は都合の悪いものばかりが解決しないまま蓄積されていく。それを読みながら感じる「気持ち悪さ」をわたしは知ってるし、生きている誰もが知っているんじゃないかと思う。それは、正しいこと、そしてやらなければならないことから目をそらしている、もしくはそらした経験があるから。正しいこと、そしてやらなければならないことよりも、欲望や惰性が優先してしまうことなんてめずらしくいことでもなんでもないから。
そう考えると、ベアードの存在は人間そのものである。ホント最低だなコイツと内心であざけりながら読んでいたベアードが!ユーモアに包まれた本書の核にあるのは生々しいまでの人間の愚かさなのだ。
そして本書はもちろん3・11の前に書かれたものであるけど、ベアードの人生を通じて人間の愚かさについて考えるとき、今一番リアルに感じるのが福島原発の事故である。原発のリスクから目をそらし、チェルノブイリの事故から何も学ぼうとしなかったわたしたちの愚かさについて、改めて身を切られる思いがしたのだった。
だからこの作品は二度おいしい。ベアードという愚かな男を主人公とした喜劇としてくすくす笑いながら一気に読まされるものの、読み終えると改めていろいろと感じるところがあって考えさせられるのだ。それこそが小説の奥行きだと思う。そういう小説を読めてよかった。オススメです。