予定日はジミー・ペイジ(角田光代)

予定日はジミー・ペイジ

予定日はジミー・ペイジ

やっと出たよ! なんかこの本、一年くらい前から刊行予定に入ってなかったか? 覚えやすいタイトルなのでずっと気になってた。小説も赤ん坊も予定日には出てこないということか。
というわけで、妊娠発覚から出産までの日々が描かれた<マタニティ>小説である。

おめでたですよと言われて、めでたいですかと訊き返す私は、きっとおかしな人間なんだろうと思う。どこかまちがっている。歪んでいる。母性欠落。どうしよう。

なんか、わかる。世間の常識を鑑みて「めでたいですかと訊き返す」ことは躊躇するかもしれないけど、主人公マキの夫のように、そしてベタなテレビドラマの夫婦のように素直に「ヤッター!」と喜ぶ気持ちには、わたしもなれそうにない。自分の体の中で別の命が育っていくということ、それに付随する体調の変化、自分の意志に関係なく、やってはいけないこと、やらなくてはいけないことが膨大に増えるということ。さらに仕事のこと、子供を産んだ先の将来のこと、なんかまで考えると、たぶん不安が先にくるだろう。
マキはまわりとの温度差に戸惑いながらマタニティライフに突入する。とりあえず予定日どおりに生まれれば子供の誕生日はジミー・ペイジと同じだと嬉しくなったり、関連書籍をたくさん買って日記をつけてみたり。だけどスポーツクラブの妊婦コースや病院の母親学級では、幸せ200%!みたいな妊婦たちに囲まれてはうんざりして。

もし、日本全国の妊婦が集結してやる気ピラミッドを作ったら私は最底辺だ、と思う。(中略)
なんだか、ごめんね。申し訳ないよ。
おなかのなかにいる名前のないだれかに向かって私は謝る。

う〜ん、つくづくわかる。妊娠したからって人格が変わるわけじゃないからね? 「妊婦=幸せの象徴」みたいな、いわゆる世間一般様の通説というものに嘘くささを感じてるタイプ。めんどくさい女だな……ってわたしもか! ま、でも己の身をもって納得したいわけで。
このマキも、体やまわりの変化に対して、頭が付いていかない状況なんだよね。だから遅まきながらも、幸せを認識できるラストのくだりはリアルで、幸せなのにじわじわと切ない。やっぱそこらへんは、さすが角田光代、ですよ。大嫌いだった父親のエピソードを絡めるあたりも、うまいなぁと。ひとつの短編が出発点となったらしいけど、読み応えのある作品でした。
もしいつか妊娠したりしたら、この小説を読み返したいなぁと思います。