浮世の画家(カズオ・イシグロ)★★★★★

浮世の画家

浮世の画家

こちらもまたリアル書店で見つからなかったために、アマゾンユーズドで買い求めたのだが長期間放置していた作品。近日中にハヤカワ文庫から出るらしいと知って、慌てて読みはじめた。いや慌てることはないんですけどね。でも滅多に利用しないオンライン書店を活用してまで手に入れたのに、文庫化よりあとに読むなんて、なんか悔しいじゃないですか。


本作の舞台は戦後の長崎、年老いた画家・小野の追憶と現実が不規則に交差しながら、その内面に迫る作品。
「先生、ぼくの良心は、ぼくがいつまでも<浮世の画家>でいることを許さないのです」
戦中、小野は恩師と袂を分ちても政治的な作品へ傾倒していく。高名な賞も受賞し、弟子に囲まれて飲み屋で語り明かす。しかし戦況と同じく、小野の幸福な時代もなりを潜めていく。そして終戦後、何とか立ち上がろうとする日本のなかで、戦争をあおった人々に冷たい視線が向けられる。小野は長女の夫からの無言の怒りを感じ、次女の縁談が上手くいかぬのも自分の所為かと気に病むが……。


またしてもカズオ・イシグロらしい「あやふや」がある。小野の思考は現在を軸に、数ヶ月前、数年前、数十年前に、あっさりと飛んではまた戻る。かつ過去の記憶についても娘の記憶とつじつまが合わないのだから、信頼できない。だから娘婿たちからの批判的な視線や言動も、もしかしたら妄想かもしれない。でも、そうだとしてもこれは小野自身の真実の物語だと感じる。


疑いもなく戦争をあおる立場にいたこと。その負い目が説得力を失う。戦争を押し進めた非は認めよう。しかしその世代をすべて切り捨てることが、本当に国のためになるのか? そんな言葉さえ、強くは言えない小野。戦争によって否定された時代、そのすべてが価値がないとする世相に違和感を感じる小野の気持ちも分かる。


ただ個人的なレベルでは、小野はやはり身勝手だ。世間知らずな画家という隠れた半面も相まってたちが悪い。愛弟子を投獄させておきながら 戦後にあっさり会おうとしたり。この無神経さはかなりのもの。


それでもこの物語は小野を受入れる。父親から絵を弾圧された子ども時代の小野、高名な画家のもとでの家庭内ファクトリーのような下積みをこなしていた小野、芸術ではなく影響に重きを置いて成功した小野、疑似戦犯として自分を許さない小野、孫には甘い小野、自分たちの世代をあっさり葬る新しい日本に怒りを感じつつも自分たちの罪は素直に認める小野。


時代の勢いに併合しがちで、でも古いものを尊ぶという日本人らしさが小野に象徴されているように思えてならない。


カズオ・イシグロの作品はすべて完成度が高い。個人に深く切り込みつつも、作品全体を通してその時代をこの上なくわかりやすく表現する。読み手になにかを「伝える」というテクニックにおいてはこの人がナンバーワンだと思う。


日の名残り』や『女たちの遠い夏』と同じく、ひとりの人間の内面に鋭くかつ繊細に向かい合った傑作です。来週にもハヤカワから文庫化されるんで、興味のある人はぜひ!


ちなみに未読は「充たされざる者」のみ。アマゾンの説明によれば「異色問題作」らしいのでぜひ読みたいが、絶版だしアマゾンユーズドでは最低値でも上下合わせて11,773円!! もーこればかりはハヤカワ文庫化を待つしかないですね。