ぼくのともだち(エマニュエル・ボーヴ)★★★★★

ぼくのともだち

ぼくのともだち

 「孤独がぼくを押し潰す。ともだちが欲しい。本当のともだちが!」(本文より)
 パリ郊外モンルージュ。主人公のヴィクトールは、まるで冴えない孤独で惨めな貧乏青年。誰もが勤めに出ているはずの時間、彼だけはまだアパルトマンに居残っている。朝寝坊をして、なにもない貧相な部屋でゆっくりと身繕いをし、陽が高くなってから用もないのに街へと出て行く。誰かともだちになれる人を探し求めて……。
 1920年代にフランスで発表された本書は、コレットベケットなどからも強い支持を受け、当時大変な人気を博した。切なくてちょっと可笑しいボーヴの作品は、戦後、アンガージュマン(政治・社会参加)文学の隆盛の陰に隠れ長年忘れられていたが、近年各国で再評価の機運が高まっている。誰かとともだちになろうとしては挫折をくりかえす、社会の隙間で生きているような孤独な青年も、時間や場所を越え、現代の日本読者の中にともだちを見つけるにちがいない。
今日では複数の言語に翻訳され、世界中で広く読まれている


いやーこれが期待以上に良かった。
なんなんだこの主人公、面白すぎる! 自意識過剰プラス妄想爆発、ちなみにブレーキは故障。もうちょっと説明すると、他人の目に自分がどう映るかを気にしすぎて挙動不審、なのにちょっと知り合っただけで(もしくは目が合っただけで)バラ色に輝く自分の未来にまで飛んでっちゃったりして、しかも思い込みが激しいので唐突にストーカーまがいのことまでしてしまうのだ。………うんゴメン、やっぱ友達にはなれないわw


孤独な主人公ヴィクトールが求めるのは「ともだち」。出会いを求めて町をうろつくが、見つからない。当たり前だ。だってヴィクトールは自分と同等、もしくは自分を尊敬するような相手しか友達になりたくないと思ってるのだ。とにかく「自分」に注意を払ってほしいのだ。子供だ。当然ながら「ともだち」は見つからない。家族も友達も仕事もなくて、寂しくてしようがないのに、最後まで見つからないのだ。


で、これが暗い話かというとそうでもないんですよね。むしろコミカル。
まずヴィクトールが無駄にポジティブなんだな。裏返せば、自分の短所に気付かない、気付いても深く考えない。そこかなり問題ではあるのだが。
一番笑えるエピソードは「船乗りのカヌー」。ヴィクトールは通りすがりの人から同情してもらいたくて今にも河に飛び込みそうな振りをしてると、本当に自殺しようとしていた船乗りに引っ張られて入水自殺寸前にまで追いつめられる。ヴィクトールはもちろん死ぬ気なんてないから思いとどまらせる為に、その船乗りに金をやって食事をおごって売春宿にまで連れて行ってあげるサービスっぷり。しかもちょっと横着な船乗りの態度が気に食わなかったらしく「ともだち」にもなれないし。
この作家の笑いのセンスは町田康ともちょっと似てるかも。他者攻撃と自虐がいいかんじでブレンドされてます。


でもこいつ最悪だよと思ったり吹き出したりしながら読み終えたんだけど、残るのは「さみしさ」。人間ってどんだけさみしがりか、改めて考えたように思う。家族もいて友達もいて仕事もあって、そんななかでも時折「さみしさ」に襲われることはあるのに、突発過ぎて今は深く考えずにいられる。安定した自分の居場所をつくっていくこと、それが大人になるってことかもしれないし、「さみしさ」から遠ざかることなのかもしれないなと思う。


ま、とにもかくにも素晴らしかったです。先月刊行の邦訳二作目『きみのいもうと』も早く読みたい。