ノンフィクション二連発〜『19歳 一家四人惨殺犯の告白 (角川文庫)』&『そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)』

19歳 一家四人惨殺犯の告白 (角川文庫)

19歳 一家四人惨殺犯の告白 (角川文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)


偶然ですが犯罪もののノンフィクションを二冊連続で読んだので、まとめてレビューします。


19歳 一家四人惨殺犯の告白 (角川文庫)』の著者である永瀬隼介氏は、今は小説家として活躍されてますね。わたしも1〜2冊くらい読みました。この本で初めて知ったのですが、もとは週刊誌の記者で、後にフリーとなってノンフィクションものを何冊か出しておられたようです。

本作は、92年に起きた市川一家4人殺人事件の犯人として逮捕され、のちに死刑判決を言い渡された、当時19歳の少年の心の闇に迫ったノンフィクション。事件そのものの異常性にも加え、逮捕後もどこかピントのずれたような少年の思考が恐ろしい。人間ってこんなにもゆがむのかと、衝撃を受けた。この物語に救いはない。著者もまた、自分の犯した犯罪の原因を家庭環境の劣悪さになすりつけようとする少年を、許そうとしない。たとえどんな環境で育ったとしても、この犯罪は許されることではない、という著者の明確な立ち位置こそがこの作品の肝とも言えるだろう。少年本人へのインタビューはもちろん、加害者家族、被害者家族周辺まで入念に取材されていて、かつ構成もわかりやすく、上手くまとめられたルポだと思う。
事件はコチラのサイトが詳しい→http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/ikka.htm


そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)』はノンフィクション作家である日垣隆氏による、「精神鑑定」という現代の司法の悪癖に切り込んだ渾身のルポ。
わたしも常々思っていたんですよ。というかほとんどの人が思ってるだろうけど。なんのために「精神鑑定」するの? 心神喪失だと認められて、それでなぜ罪が軽くなる、もしくは起訴さえされないの? 責任能力がないからといって、何ヶ月か入院するだけでまた社会に戻ってきちゃうっておかしくないか? というかですね、病気のせいで殺人犯しちゃったっていうなら、なおのこと社会復帰させちゃだめじゃないか。「チャンスを与える」という意味がわからない。殺された人たちは生きるチャンスさえ奪われてしまったというのに。
事件当時に犯人が「心神喪失であった」かどうかは絶対に証明できない。なのにその可能性によって起訴さえされないなんて怖いことだと思う。それどころか薬物や酒を自ら摂取しての犯罪ですら「心神喪失」扱いされちゃう国なのだ。事件当時の犯人の頭の中がどうなってるかにこだわりすぎて、起きてしまった犯罪そのものが軽視されているような状況ってどうなんだ。
……とこの本を読んだら腹が立ちますよ。そして想像して怖くなっちゃうのだ。自分の大事な人が誰かに殺されて、その犯人に「精神障害がある」と判断されたら。実名報道もされないから、何の裁きも受けない犯人のその後を知ることさえ出来ない。死ぬほど悔しいし、その後も安心して暮らせないと思う。
法に「穴」があるのはいつの時代もそうかもしれないけど、日本の刑法は曖昧すぎる。「人権」も大事だけど、法治国家の大前提は「人が安心して生きられる」ってことではないのかと、久しぶりに真面目なことを考えてしまいました。