ツアー1989(中島京子)★★★★★

ツアー1989
中島 京子著
集英社 (2006.5)
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こないだ文庫で出てたエッセイ『ココ・マッカリーナの机』は読んだのだけど、本業の小説を読むのは本作が初めて。評判の高い作家さんなので、前々から読みたいと思ってたのだけど本屋でなかなか見つけられず……、いいタイミングで新刊が出てくれました。あるひとりの「迷子」にまつわる連作短編集です。

専業主婦の凪子がある日、不思議な手紙を受け取ったことから物語は始まる。その手紙はなぜかブロードバンドのセールスマンが手渡してくれた。香港で出会った日本人から預かったものだという。15年後に届いた恋文。旅日記のような長い手紙にはたしかに、差出人の凪子への淡い恋心が感じられる。ただ、凪子はまったくその差出人について覚えがなかったのだ……。
15年前の香港、たったの4日間、行方不明の青年。いつしか消え入りそうな記憶を追う、4人の物語。


噂にたがわず、良かったです。というかかなりの驚きでした。


最初の三編は、<消えた青年>を共通項としてるとはいえ、かなり独立性の高い短編だ。冒頭の「迷子つきツアー」は、ギクシャクした関係が続く夫婦に、ある日舞い込んだ妻への恋文が、いい役目果たすんです。このラストは一番好き。そして続く「リフレッシュ休暇」では、リストラにより引っ越しを余儀なくされた男が昔のメモを見つけて、香港ツアーのことを断片的に思い出す。<消えてしまいそうな男>に思いを馳せながら、それを止めてくれるのは何より大事な家族なのだ。このラストもいいです。「テディ・リーを探して」は15年前に添乗員をしていた主人公が、自分の昔の恋人に深く関わる数日間だけのブログを発見する。想い出は、そしてこの記憶は、誰のモノ? 主人公は記憶を自分の下に引き寄せるためある行動に出る。最終章に繋がる物語としていい役目を果たしている。


ラストの「吉田超人」は他の三編とはちょっと異なる。というのもフリーライターを目指す主人公は、件の青年と会ったことはないからだ。偶然にも手紙の配達人としてこの事件に関わった主人公は、<消えた青年>の行方、そして謎の<迷子つきツアー>を調べ始める。そして手がかりを求めて香港へ……。こっからさきは読んでのお楽しみ。


帯に「記憶はときどき嘘をつく。」とあるが、それはまさにこの小説が表現していることだ。記憶は時が経てば経つほどに、間違いなく主観的なものになる。そして<忘れない>記憶の取捨選択は、自分のコントロールの外にあるようなのだ。まぁ簡単にいえば<大事なこと>と<どうでもいいこと>の二つにおおざっぱに分けられるけど。でも<大事なこと>と<どうでもいいこと>は人生の中でどんどん入れ替わって、だからこんなにも不安定なのか。


<消えた青年>は手紙の中で、『忘れずにいるべきことは何か』ということを『思い出せるかもしれない』、と書いている。矛盾しているようだけどでも、すでに思い出せないものなら<忘れずにいるべきこと>ではない、と考えるのは間違ってる。だって、忘れたくない、という想い出はきっととても幸福な想い出だと思う。でもわたしたちはいつも<忘れずにいるべきこと>を忘れて生きてる。そして時折、何かのきっかけによってそれを思い出す、という幸運によって毎日を生き抜いてると思うのだ。嫌な想い出だけはなかなか消えないのにね。やっぱり記憶は、コントロールできない。


『忘れずにいるべきことは何か』を探す、この青年をかわいそうだと思う必要はない。しがらみがなくて孤独でも、彼は<忘れずにいるべきこと>の大事さを誰よりも理解してる。わたしたちがほとんど無意識の中で流してしまってるそれを。


正直、期待以上でした。急いで既刊の小説も読まなくては! 1冊読んだだけで十分クオリティの高さは感じましたから。とはいってもあと3冊しか出てないけど…でも読むのが今から楽しみ。嬉しくてしようがない。