遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)(カズオ・イシグロ)★★★★★

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

カズオ・イシグロ熱、とどまることなく。

故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー作。王立文学協会賞受賞作。

女たちの遠い夏』を改題したものらしい。より原題<A Pale View of Hills>に忠実なタイトルだけど、読み終えて考えると、『女たちの遠い夏』もなかなかいい邦題だと思う。
それにしてもこれがデビュー作ですか。上手いですねぇ。
この作品では、価値観の揺らぎがストレートに描かれる。世代間の相容れることのない価値観、そしてひとりの人間の中で変化する価値観、それらが生み出す苦しみや切なさが、鮮やかなエピソードによって浮かび上がる。
たとえば、イギリスの片田舎でひとりで暮らす悦子とロンドンで暮らす娘のニキ。結婚して子供を産むなんて耐えられないと主張する娘は、悦子の長崎時代の友人・佐智子を彷彿とさせる。佐智子はアメリカ人の恋人に引っ張り回されながらも、いずれはアメリカに移住することを夢見る。当時は普通の主婦であった悦子は、佐智子の言動を理解することはできなかった。また悦子の最初の夫である次郎の父親と、次郎の同級生である松田の、決定的な意見の食い違い。これは単なるジェネレーションギャップだけではなく、戦前戦後という日本人の価値観の大きな揺れが含まれている。そして長崎時代には普通の主婦として、そんな自分の価値観を疑いもしなかった悦子が、時を経てイギリスの田舎で老後を送っている。
他の作品と同じく、この小説でもイシグロは驚くほど多くのエピソードを積み重ねることによって、読者に感動を与えてくれる。そしてやっぱりというかなんというか、構成が秀悦なんですよね。外国人と結婚し外国に住むことを夢見た佐智子と、予想外に外国人と再婚しイギリスに移り住んだ悦子。悦子の回想の中で、二人の女の人生が交錯しシンクロする。上手いとしかいいようがないです。
それにしても面白いなと思うのが、両親ともに日本人の日本生まれで5歳からイギリスで育った著者が、日本を舞台にした物語を英語で書いて、その翻訳版を自分が読んでるってことだ。でも解説の池上冬樹氏が指摘してるとおり、あくまで翻訳小説であることを忘れないほうがいい。多少の違和感はあるのだ。ほんの些細なことではあるけど、ダンナの父親と話すときにダンナの名前を呼び捨てにしたりしない、とか。というかもともとイシグロ作品読みやすいうえに翻訳も上手いくて、日本語を母国語としてる作家が書いたものであるかのように感じちゃうから、そういうところに引っかかるわけで。逆に言えば、外国人が書いた日本の物語としては驚くほど違和感がないわけですね。
しかしイギリス人とはいえ、日本生まれでこんな素晴らしい小説家がいるってのはちょっと誇らしいな。同じ九州生まれだし!


はー。これで未読本は『浮世の画家』と『充たされざる者』だけですか。さみしいな。でもどちらも在庫なし。どちらもアマゾンのUsedで手に入れられるけど、『充たされざる者』の後編は異常に高い! もと2100円が6480円って…。ハヤカワが買い取って文庫化してくれるのを待つしかないのか……。