グルメ探偵、特別料理を盗む (ハヤカワ・ミステリ文庫)(ピーター・キング)★★★★☆

グルメ探偵、特別料理を盗む (ハヤカワ・ミステリ文庫)

グルメ探偵、特別料理を盗む (ハヤカワ・ミステリ文庫)

著者は幅広いジャンルで活躍するライターで、ラジオドラマも手がけつつ、グルメ本なんかも出してる人らしいですが、小説はこれがデビュー作になるらしい。なんとなく書店で手に取って気になったので購入して読んでみたのだけど、
これが大当たり! こんなにチャーミングで美味しそうなミステリは初めてです。


タイトル通り主人公はロンドンに住む<グルメ探偵>なのだが、探偵といっても仕事の内容は、めずらしい原料を探したり、レアなワインの仕入れだったりと、文字通りグルメに関する情報収集が主だ。そこへやって来た依頼人は、ロンドンのレストラン業界で知らぬ者がいない有名シェフ。なんとライバル店の人気メニューのレシピを暴いてほしいという。持ち前の舌の感覚と地味な調査によって無事調査を終える。しかし直後にそのライバル店のシェフから店の営業妨害に関する依頼があり、それを調べていくうちに殺人事件に巻き込まれて……。


何がチャーミングって、この主人公ですよ! 古い城を改築したホテルのレストランで<中世の料理>を出したいのだがどういうメニューがいいか? とか、バーベキューに合うワインは? といような依頼には嬉々として応じるのに、ちょっとでも事件性がありそうな依頼なら、本物の<探偵>を探したほうがいいですよ…と忠告しちゃう。でも実は大のミステリマニアで、事件に巻き込まれれば嬉々として参加しちゃうのである(でもあくまで素人目線)。その浮かれっぷりが笑える。わかりやすいところをちょっと引用。

ぼくはかかわりたくないと思ってた。それは本当だ。だけど今は、なんだかわくわくしてきた。ぼくが殺人事件を調査だって! ファイロ・ヴァンスみたいに……いや、どっちかっていうとアーチー・グッドウィンに近いかもーーともかく、ぼくが調査するんだ。だけどここは喜んでいることは悟られないように、いやいや協力するという顔をしておかないと。

ね? 可愛いでしょ?


サブキャラもいいんだよね。主人公自ら彼こそグルメ探偵にふさわしいと太鼓判を押す親友のマイケル・マーカムの営む店は、一階は世界中の食に関する本が集められたブックストアで、二階は二人の美しい女性シェフが素晴らしい料理を提供してくれる店。食に関するあらゆる情報を得ることが出来るこの店は、主人公にとってはありがたすぎる存在だ。そして主人公の昔の恋人でベストセラーをたたき出すフードライターのサリーや、自分の約束は信じるなと言い切るフードジャーナリストのネバダも、なかなか喰えぬキャラ。そしてカタブツながら意外にミステリ好き(でも警察官が主人公となったもの限定)なヘミングウェイ警部や、その部下で主人公に色気をみせるウィニーなど、個性的かつ魅力的なキャラがいっぱいで、シリーズ化されてるのも頷けます。


そして本書の魅力を語るに欠かせないのが、美味しそうな食べ物の数々! いや食べ物に限定しちゃいけないな。料理に合わせたワインやシャンパン。そして主人公は一人の食事の時こそ、FoodとDrinkとMusicのマリアージュを常に求めてるんですから! どうにもご相伴にあずかりたい気持がおさえきれず……。イギリスなんて朝昼晩ポテト食ってんだろ、というわたしの偏見を覆してくれました。ま、この主人公のこだわりはただならぬものであるとは思いますが……。


ついでにラストはある意味どんでん返し。探偵が主人公のラストでそう来ますか。ラストこそ最大の皮肉が効いてて、痛快ですよ。こんなにも楽しく読めるミステリは久しぶり。グイグイ引き込まれて、ニコニコできるミステリなんてなかなかないでしょ? ぜひぜひオススメな一作です。

灰色の魂(フィリップ・クローデル)★★★★★

灰色の魂

灰色の魂

しばらく前に読んだ『リンさんの小さな子』が素晴らしかったので、過去の作品も手をつけてみます。


まるで遠くの国の物語のように感じていた戦争が日々近づいてくるなか、凍り付くような寒い日に発見された少女の死体……それは裁判所そばで営むレストラン<レピヨン>の看板娘だった。引退した厳格な検察官、その検察官の敷地にある小屋に住んでいた若き女教師、いかなる時も冷静な観察者であるべき「わたし」の皮肉な運命、そして「わたし」の同郷であり蔑まされる女性の証言……。
この物語は、本来ならミステリとして進むべきだ。材料は十分。でもこの作品では、一個人が抗うことの出来ないほどに大きな<戦争>という大きな力によって悟らされた、絶望が描かれる。これほど材料が用意されていながら、そこを追いかけないのは気力うんぬんではなく、追求する動機すら奪われてしまったせい。


この作品と『リンさんの小さな子』は一見異なるようだけど、実は同じことを訴えてる。すべての気力を失ってしまうほどの大きな力。日常も目的も尊厳すらも。戦争がどれほどひとりの人間に影響を及ぼすか、単なる戦争論では語れない、個人レベルの影響力を、切々と、この作家は描いてる。


小説なんて、社会に影響を及ぼすもんではない。でも、この人の小説を読んでそれを理解する人が、簡単に戦争に賛成するわけないとも思いたい。大好きな小説にそんな責任追わせたくはないけど、小説だからこそ伝えられるメッセージがある。この作品も、『リンさんの小さな子』も、完成した小説という形から滲み出る切なさを、読者のひとりであるわたしは受け取りながらもそれをどう扱っていいのか、まだわからずにいる。でも絶対に、忘れたくない物語だ。